ファーストラン体験のギブアンドテイクを設計する:My ASICSの事例

編集:三橋ゆか里

ユーザに愛されるかが決まる初回起動後のUXデザイン:「ファーストラン」のつくり方』では、ユーザが初めてプロダクトに接した時の体験の設計アプローチを解説しました。

本記事では、ランナー向けウェブアプリ「My ASICS」のファーストラン再設計の事例を通して、ウィザード型のファーストランを設計、見直す際に役立つティップスをご紹介します1

My ASICSは、マラソンに向けたトレーニングを支援するサービスです。カスタマイズされたトレーニングプラン、ダイアリー、記録分析を主な機能とし、効果的なトレーニング方法に関するアシックススポーツ工学研究所の研究成果が集約されています。

ファーストラン再設計の4ヶ月後、以下のような成果が出ています:

  • サインアップのコンバージョン率が50%アップ
  • サインアップ後の最初の一ヶ月間におけるエンゲージメント率が30%から70%へ

ウェブアプリとスマートフォンアプリ(iPhone/Android)があります。

まずは、現在のレベルや次のレースの目標タイムなど、ユーザが入力したデータに基づいて、各自に最適なトレーニングプランが算出されます。この少し複雑なプロセスがMy ASICSのファーストランです。ひとつ前の記事で紹介した4つの設計アプローチのうち、最も適したウィザード形式を採用しています。


左のフォームに入力すると、右のようなトレーニングプランが作成されます。作成されたプランに対して、一週間に何回トレーニングするかなどの調整をすることもできます。

ギブ・アンド・テイクーユーザの労力に対して提供する価値

前バージョンでは、「3時間以下のフルマラソンを目指す32歳男性」という標準的なユーザに対するプランを提示し、それを後からカスタマイズしてもらう形をとっていました。トレーニングプランを出来るだけ早い段階で提示すべき、そしてユーザへの負担になりうるフォーム記入は最小限に押さえるべき、という仮説に基づいた設計です。

現バージョンでは、下記のようにステップの順序を逆にしています。

ここでポイントとなるのは、ランナーにとってトレーニングプランが持つ価値です。レースに向けて走るランナーにとって、プランはその結果を大きく左右します。プランがハードすぎても怪我につながり、逆に軽すぎても目標を達成できません。

ユーザは早くトレーニングプランが見たいのではなく、早く自分のトレーニングプランが見たい。この気づきが、ファーストラン再設計のきっかけとなった発見でした。作成されるトレーニングプランの価値を最大限に高めるためであれば、ユーザはたくさんの質問へ回答するという労力を厭わないのです。

提供する価値と、ユーザの労力は、常にギブ・アンド・テイクであると言えます。UXデザインのベストプラクティスは、あくまでもベストプラクティスであり、サービスドメインに応じたギブ・アンド・テイクのバランスが存在することを改めて考えさせられる結果でした。

無駄なクリックや入力を省き、次に何が起こるかを明確に

さて、ランナーにとって欠かせないトレーニングプランという価値を提供するとはいえ、無駄にユーザの手を煩わせることはありません。

プルダウンの利用統計を見て、デフォルトの表示項目を調整する

フォームにおいては、親切なデフォルト設定を心掛けます。例えば、「現時点のランニングレベルを選択してください」という質問に対して、答えをプルダウンで選んでもらう場合。実際の統計に応じたデフォルト値を採用することによって、ユーザのクリックの回数を減らすことができます。

また、次に起こることをあらかじめ明示しておくことが大切です。My ASICSのプラン作成では、最後のボタンを「プランを作成する」にしています。フォームを記入すれば、自分だけのプランが手に入るということが確実に伝わります。「次へ」「確認画面へ」といった言葉では、ユーザのモチベーションは湧きません。ウェブでもモバイルでも、次に起こることを常に明確にしましょう。

言葉の温度感を意識し、正しいメッセージを届ける

「ペース」と訳した「Intensity」は、サービスドメインとターゲットを考慮した大切なUIコピー

ランナーにとってASICSは、ランニングの知識に富んだ信頼できるパートナー。この印象に大きく影響する要因の一つが、プロダクト内で使われている言葉です。

UIコピーひとつを取っても、ターゲットに対して適切かどうかを吟味する必要があります。例えばMY ASICSでは、ユーザが調整できる項目の一つとして[走るペース]があります。現在「Pace(ペース)」となっているラベル名ですが、もとは「Intensity(激しさ)」いう言葉が使われていました。研究所で使われていた単語がそのままコピーになっていたのですが、ユーザへ与える印象は非常に強く、少し身構えてしまうような言葉です。それを、マラソン用語としてより自然な「ペース」という言葉に変更しました。

プロジェクト開発に長く携わっていると、チーム独自のボキャブラリーが定着します。プロダクトに悪影響を及ぼさないためには、対面のユーザインタビューが効果的です。例えば、「普段はどれくらい頑張って走りますか?」という問いに対して、「そうですね、レース一週間前なら○○くらいのペースで走ります。」と回答があるかもしれません。人は自分に自然な言葉を使って会話をするので、UIコピー改善のヒントが沢山見つかります。

ちなみに多言語展開をしているプロダクトだと、ベースとなる言葉のコピーの完成度が高くないと、メッセージがどんどんブレてしまう可能性があります2。このトピックについては、またいつか・・。

流入経路ごとに最適化したランディングページ

フォーム項目の順番やデフォルト値を使い分けたランディングページの例

アプリやサービスに最初にたどり着く方法は何通りありますか?SEMの広告からランダムなブログまでその方法は複数あります。大事な入り口に関しては、そこから流入するユーザに最適化されたランディングページを設置しましょう。

例えば、Googleアドセンスを使ってMy ASICSの広告キャンペーンを実施する時。ターゲティングした広告に、そのターゲットに最適化されたランディングページを用意することでコンバージョンを高めています。

最後に

My ASICSのように、ファーストランでユーザに情報入力などのアクションを多く求めるサービスは珍しくありません。ユーザにかかる負担や時間を抑える工夫が求められます。サービスがターゲットユーザに提供する価値を改めて見直し、サービスを利用することでユーザが得る価値を最大限に引き延ばすギブアンドテイクを実現しましょう!

予告:来週は、フォームのUXデザインという奥深い世界をさらに探索します。引き続きMy ASICSを題材とし、フォームの項目を最適化するために開発チームが自問自答すべき5つの質問に関する記事をお楽しみに。

脚注:

1. AQは、デザインとプロダクトマネージメントの役割で、企画フェーズからMy ASICSのサービス開発に参加しています。詳細については、事例紹介(ウェブアプリスマートフォンアプリ)をご覧ください。

2. My ASICSでは、チームのUXデザイナーとコピーライターがすべて英語でテキストコンテンツとUIコピーを書き、ローカリゼーションは翻訳会社に外注しています。Intensityの日本語化にあたって「頑張り度」とする案もありましたが、これはターゲットとの温度感を考えると不適切な言葉だと言えます。MY ASICSのランナーには、マラソン大会を目標に走るタフでストイックな人が多く、頑張り度という言葉は少し遊び心が過ぎるのです。